『残された人びと』(アレグザンダー・ケイ)

 あの「未来少年コナン」主題歌の映像中「原作:残された人々」とクレジットされていて、長い間捜していた。最近になってようやく読んでみたが、「未来少年コナンとは、まったく印象が違う話だった。ただ細かいところは原作の設定を残している。ラナは機を織っているし、ラオ博士(「ロー」と表記されているが)は片目を布で覆ってパッチと偽名を使っている。

 コナンは少年ではなく筋骨隆々としたマッチョ青年として描かれている。怪力の持ち主ではあるが、むろん足の指の力については触れられていない。イメージはむしろコナン・ザ・グレート。映画化するとしたら若き日のシュワちゃんあたりにやらせたらよさそう。もともと西欧におけるコナンという名前は英雄っぽいイメージがあるのだろうか。

 他の登場人物の名前が微妙に違う。レプカは「レプコ」、モンスリーは「マンスキー」になっていた。アニメ化にあたり変更したのは子供達が呼びにくいからとの配慮なのかな? ちなみにレプコは「目がどんよりしてしまりのない、ほとんどひげのない、ぶくぶくふとった大男が入り口にあらわれた。」と紹介される。マンスキーは、なにかというとバカバカと罵るところにモンスリーの面影がある(笑)。ジムシーやダイスもちゃんと出てきますが全くの別人です。

 しかしこりゃ本国(アメリカ)では絶版になるはずだ。ただ辛いだけの話といってもよい。ハックスリー『すばらしい新世界』のようなディストピアものですね(あれもさっぱりわからなかったけど)。結末も、あ?これで終わり??って感じ。機械文明に対する批判というよりも、どうもアカ狩りというか反共産主義目的のアメリカプロパガンダ小説じゃなかろうかと感じました。全体主義や無神論を振りかざすマンスキーさんとヒューマニズムを信奉するロー博士のディベート応酬がクライマックスなのかな。アメリカらしいところです。

 不思議なのはこの原作は別に宮崎さんが昔からアニメ化したかったものではなく、日本アニメーションからたまたま与えられた題材だったこと。その割には後の宮崎作品全体とあまりにマッチしている。非人間的機械文明への警告、自然に囲まれてひっそりと暮らす理想郷、イノセントで勇敢な主人公、ただ泣いて助けられるだけじゃない果敢なヒロイン、魅力的な悪役、究極の未来文明と最終兵器…。この小説からすべてこれらが生まれたとはさすがに思えないので、宮崎さんが思い描いていた世界観にこの話の骨組みがたまたまぴたりとはまったということなのだろうか?


追記:ちなみに、原作の "The Incredible Tide"(『大津波』って感じかね? ぜんぜん『残された人びと』じゃないんだけどw) はフリーPDFで入手することができます。その内読まねば。
http://hinomaru.megane.it/cartoni/Conan/Tide.pdf







残された人びと (ジュニア・ベスト・ノベルズ (16))
岩崎書店
アレグザンダー・ケイ

ユーザレビュー:
原作ではコナンも色々 ...
結構読めますね 原作 ...
これはこれで、こんな ...

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